日本に帰ってきた!憂鬱な、かなぺ(@petapetakanape)です。
フェリーをキャンセルして、飛行機に乗り遅れて3度目の正直で韓国から帰ってきたよ。
自分が本当に本当に嫌になったよ・・・。
いつもぎりぎりで生きてるから、1時間前に空港に着くとかうまく計算できなかった。(二日酔いで頭が回ってなかった。)
夕方の便なのに乗り遅れるなんてアホすぎる・・・。
これも経験だ!と思えないのが、飛行機に乗り遅れるの3度目っていう事実・・・。
中国留学時代に2回乗りそびれた経験あり。(いずれも早朝便ではあるけど。寝坊ね。)
間に合ったとしても、いつもぎりぎりセーフ状態で急いでいる。
前回の台湾もギリギリだったしさあ。何年か前にも寝坊して、水天宮前からタクシーかっ飛ばして成田まで行ったこともあるし・・
はあ・・・。なんなの私・・・。
切り替えるしかないけど、1日はうなされた。逆をいえば1日で済んだ。
もう、、弟にも迷惑をかけて、居候させてもらって、本当にごめん・・・。
本当にしっかりしましょう。(orこんな自分も受け入れて強く生きていくしかない。)
日本に帰ってきて、また実家暮らしがスタート。(鬱)
鬱なのは、まあ置いておくとして、タイトル回収。
私の人生のターニングポイントは、中国に留学したことだと思うけど、
もっと厳密に言えば、こたにゃん(教授の愛称)ゼミに入ったことだと思う。
中国留学のきっかけをくれた教授。
当時、私は、すごく傷ついていて、暴走状態だった(w)
覚悟を決めて、絵を描くことで生きてこうと思ったのに、
なんかよくわからない色恋みたいなものが入ってきて、ショックを受けて終了した。
だけど、そのまま終了なんて、
その人に舵を任せた結果で、自分の意思が、覚悟がそこにないように思えて、なんだか自分のことも許せなくて、
就職活動をして会社員になる道を選ばず、とりあえず東京に行くと決めた。
この時、自分の人生の舵を他人にとらせてはいけない、他人ありきの自分なんてあり得ないと学んだ。考えが甘すぎた結果だったなとも今では思う。
こたにゃんも心配をしてくれて、「知ってるやつだから、電話してやる!」みたいなことを言ってくれた気がする。
その時は、問題が大きくなるのがなんだか怖くて、大丈夫だと言って、断った。(全然大丈夫ではないのに。)
同時に、私は就活せずにとりあえず東京に行く!(暴走気味)みたいなことも話して、
「だったら中国に行ってみたらいいじゃないか。中国語話せるようになったらいいぞ。個展をするまで帰ってくるな。」
って提案してくれたんだよね。
そう、こたにゃんと中国で個展をする約束をして、留学を決めたんだった。
時々、ちょっと冷徹な失礼なことも言ってくるけど、いつも私のアホな相談ごとを聞いてくれて
帰国した時は、いつもこたにゃんに連絡をしては、ご飯をご馳走してもらってた。
中国に来たときに彼氏も紹介して、大学院に行く話も背中を押してくれて、
それなのに、留学中にこたにゃんに癌が見つかって、
まだ個展できてないのに、まだ話したいことたくさんあるのに、って実感湧かないながらに泣いた・・
その後、無事、個展にも来てもらって、大学院の修了証も見せることができて、こたにゃんの退職時には特大花束を渡すことができた。
就活の相談をした際も、社会に出ろと背中を押されたのを覚えてる。(なんか変な志願書作って、大学で働かしてくれないかって頼みに行ったw)
その後、東京で就職が決まったことも報告した。
なのに、働き出して少ししたら先生は亡くなった。
東京に居て最期の瞬間には会えなかった。
先生が居なくなってからも、話を聞いてほしいなあ、相談したいなあとふと思う。
ターニングポイントを差し出してくれたのは、先生だったなあと思う。
あれから月日が過ぎて、私もすっかり大人になり、少しは成長したんじゃないかなと思うけど、どうかな。
新しい挑戦をしてるよって報告したいし、背中を押してほしいなあって思う。
くだらない不安を聞いてほしいなあと思う。
まあ、なんとなくわかる。なんて言ってくれるか。
「やってみりゃいい。」
そんなことを言われそうな気がする。
ありがとう、先生。あの時、私にターニングポイントとなるような選択肢を差し出してくれて。
